田舎でも増えている家族葬
私が住む、東京都では家族葬儀が増えているようです。
それは当然としても、私の田舎、地域の結びつきが強い地方都市でも家族葬が行われます。
大都会の話だとばかり思っていましたら、どうやら身近なことだったのです。
生活スタイルが田舎も都会もずいぶん変わってきたと感じています。
田舎の家族葬は2000年以降の風潮
先日、知人に知らなかったのかと言われて驚いたものです。
かつては、ご近所で葬儀が行われるとなると地区の婦人班で炊き出しを行っていた記憶があります。
それが、ここ数年でにわかに広まったというのです。
多くは、親を送る50〜60歳代の喪主家族が選択したものでしょう。
そのいきさつはわからないのですが、家族がよりよい選択をしたものだと思われます。
お葬式の経済的な問題、費用面の負担軽減という面も大きいのかも知れません
元来、葬送の儀式は、住む地方・地域・宗教によっても違いがあります。
これだけ情報の多様な社会ともなれば、新しい選択があっても不思議はありません。
社会の変化・暮らしの変化に見合った、柔軟な対応ができているということでしょうか。
経済情勢の影響もあるでしょう。
お葬式代くらいは残さないと、そんな言葉がでてくるほど、まとまったお金がかかる。
ならば、誰に見栄をはるわけでもなく、故人を静かに送りたい。
その延長線上に家族葬があるのでしょう。
田舎だからギリや人情というのはもう古い
働き盛りをすぎ、ご隠居の身なれば、自然に義理やしがらみもなく見送る人も少なくなります。
ご近所づきあいが、親密かといえばそうでもありません。
そもそも、年老いた親の次の世代が、地域に暮らしているとも限らない。
回りに過大な世話にはなれない。
そんな世の流れは、田舎でも確かにありますからね。
故人を忍ぶ方法も変化してきたのかも知れません
葬儀前後の接待で気を遣って、忙しさに気を紛らわすことで、悲しみを遠ざける。
その感覚も、今やないでしょう。
むしろ、近しい家族みなで、思い出にひたり、悲しみを共有することのほうを大事にしたいと思われるのは、自然なことのように感じます。
残された家族が、よりよい悲しみの乗り越え方を選ぶ。もしかしたら、故人の生前の思いだったのかもしれませんね。
そうそう、先の知人も家族葬を望むので、子どもたちに話さなくては、と言っていましたから。